映画の感想と映画館についての文句はそれぞれ別にして話すべきだとは思うのですが、あえて今回は一緒にして話します。なぜなら、ゼロ・グラビティは「映画館で見たいが、映画館で見たくない映画だ」と思ったからです。だけどやっぱり、ぜひ映画館のスクリーンで3Dで見てほしいのです。ネタバレ少なめで行きます。
ゼロ・グラビティという映画
このゼロ・グラビティという映画は大雑把に説明すると「宇宙でのミッション中に事故が起き、空気もない、助けも来ない宇宙空間に一人で放り出された主人公は無事に生還できるのか。」といった内容ですが、あえてここであらすじ詳しく語る必要はないので割愛します。
ゼロ・グラビティの面白かったところは、宇宙空間での主人公の気持ちや、体験を見るだけでなくまさに自分もそこにいるかのように体感する点です。よくあるファンタジーやSF映画では自分はその物語を外側から見ていて、主人公の一挙手一投足に興奮したり感動したりするものだと思います。
例えばルーク・スカイウォーカーはダース・ベイダーを倒すために様々な困難や葛藤を経験し、試練を乗り越えます。しかし、我々はルークの行動を手に汗を握りながら応援しているのであって、あなたはジェダイでもなければハン・ソロでもC-3POでもありません。つまり、物語の傍観者でしかありません。物語の主人公に自分を投影している人も当然いると思うので完全にそうとは言い切れませんが、やはり没入感はそんなにないように感じます。
じゃあ、ゼロ・グラビティはどうなんだ。見ていて結果が変わるのか?というとさすがにそんなことはありません。しかし、この映画を見ている間は、私達は宇宙に漂流した主人公であったり、主人公と同じ宇宙空間に放り出されたりします。
というのも、劇中で度々主人公の一人称視点になり、その他は主人公を追う第三者視点であるからです。第三者視点はゲームではTPSと呼ばれているもので、そういうゲームは少なくないので多くイメージしやすいと思います。他の映画と決定的に違うのはここで、主人公の周りのことしか描かれないので、視聴者は主人公の周辺以上のことはわかりません。極端に言えば突然シーンが宇宙から地球に移ったりしないということです。だからこそ、視聴者は安心して主人公と自己を重ねることができて、まるで一緒に宇宙空間にいるかのような無重力の、空気のない、助けのこないことの恐怖や孤独感、広大さを感じることができるのです。
特に衛星内部に入ったときの一人称視点の描写で無重力空間を感じることができると思います。これはすごい、と思うはずです。
極めつけに、主人公がこちらに向けて顔を向ける場面があります。もちろんそこに我々はいないので何もない空間に向かって顔を向けたことになります が、私はそこで主人公と目があってしまったため、映画の世界に吸い込まれていってしましました。(単にこのシーンは私の勘違いかもしれませんが。)
しかし、ここまで没入感を得られるのも映画館の大スクリーンと3D映像、迫力のあるサラウンドの音響装置とがあってのことであると思います。だからこそ、ゼロ・グラビティは映画館で3Dで見てほしいのです。
映画館で見たい理由
映画館で見てほしい理由は最高の没入感を得るために、大スクリーンと3D映像と音響装置が必要だからです。
無人になった衛星内部に漂う様々なものは目の前にありますし、水滴は画面にぶつかって濡れました。宇宙の大きさも、地球の大きさも美しさも大スクリーンあってのことでしょう。家のちんけな26インチのテレビではここまでの宇宙の広さを感じなかったでしょう。だからこそ、宇宙空間で1人になってしまった主人公の孤独感や絶望感を一緒に感じることができるのでしょう。
また、劇中で数秒間全く音がないシーンが何度かあります。宇宙空間では音を伝搬する空気がないので無音になります。そういうシーンが緊張感を煽るようなBGMの後にやってくるのだから、普段静かだと思っている以上の静かさを感じ、まるで音がない宇宙空間にいるように感じます。この静けさも家庭では味わえないと思います。
映画館だからこそできて、より深く楽しめるような演出が多数ありました。だからこそ、この映画は映画館で見てほしいのです。
映画館で見たくない理由
そもそも映画館というのは公共の場です。そのため、他人からの影響というものはどうしても避けられません。実際に映画鑑賞中にしゃべりだしたり、携帯を取り出したりする人間がいます。注意しようがしまいが、映画という世界に入っているのを邪魔をされていることで、我々がそのような人間に敗北してしまっているのは明らかです。
お金を出して映画を楽しみに行っているのに知らない奴に邪魔されるくらいなら家で映画を見ている方がいい、というのももっともな意見です。自宅で見るなら誰にも邪魔されずに見れますし、自分自身がしゃべろうが、携帯をいじろうが、スナックを片手に炭酸を飲んだって問題ないのです。私達は自由にお気に入りの映画を鑑賞することができるのです。
しかし、先に上げた理由からゼロ・グラビティは映画館で見たいし、映画館で見てほしいのです。
映画館での拘束なんてものは大したことありません。私語禁止、椅子を蹴らない、携帯を使わないとか、あと映画泥棒をするなとかです。さすがに上映中にしゃべりだしたり、携帯をいじる人に遭遇するケースはそう多くはないはずです。だが、ゼロ・グラビティに限ってはもっと繊細になります。
ゼロ・グラビティの面白さの理由はなんと言ってもも最高の没入感です。しかし、それゆえに周りの環境に影響を受けやすいのです。例えば、ポップコーンをさぐる音に。例えば、ポップコーンを食べる音に。ビニールに入ったお菓子を開ける音に。炭酸ジュースのペットボトルを開ける音に…
これらの行動はどれも禁止されていませんし、禁止なんてできるはずもないですし、禁止する必要もありません。だけど私は映画鑑賞にポップコーンが合うことに最初に気がついた人が憎いです。どうしてあんなに取る時も食べるときも音が出まくるポップコーンを映画鑑賞中に食べようと思ったのか。しかも悔しいことにキャラメルポップコーンは美味いし、映画にあいます。確かに。とっても。
話を戻すと、最高の没入感が良いゼロ・グラビティは映画館という容易に自分の世界を侵されるような場所で見るには向いてないということです。
酸素がなくなり無音になったときに右隣の人がポップコーンをがさごそと漁り、左隣の子供がお菓子の袋をびりびりと開けました。その瞬間、私は宇宙空間から帰還し、大気圏に突入し、映画館に戻されてしまったのです。
この程度の音ならアクション映画だったり、冒険ファンタジー映画ならほとんど気にしないですみます。だから、悪いとは言いませんし、ただ残念だったなと思いました。
結論:映画館で見てください
映画館で見てください。
そして成層圏の外まで行ってきてください。それだけです。
何度も言いますがゼロ・グラビティは3Dで見てこそ真価を発揮する映画です。見るならぜひ3Dで見てください。安易に飛び出して脅かしてくるものではなく、奥行きを見せることで我々の宇宙への旅を助けてくれます。
結局言いたかったことは面白かったのでぜひ見てくださいということです、以上です。
蛇足ですが原題はGRAVITYらしいので邦題をなぜゼロ・グラビティにしてしまったのか。最後のシーンのあとでタイトル(GRAVITYの方)が出てくるのがすごい良かったのだけど。
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